『規則』③(グリウル→ヤミ) アンケート1位/高校生破面 |
|
|
昼、
私有地となっている通学路には当然のように人がいなくて、
本当ならこの時間に、
ここに自分はいなかったという自覚は、
不可思議な気分を作る。
ただ、
居るようにと決められた場所に、
居ないというだけなのにどこか、
現実では無い場所に来たような錯覚。
遠くで、車の走る音が聞えた。
肩に寄りかかる病人の熱が、
ついさっき身に深く刺さった残酷な、
事実の刃物が伝える痛みを忘れさせてくれた。
早く、寝かせてやらなければと思う。
そこでようやく、
人工林を抜け在校生のほとんどが住んでいる寮の、
うす緑の屋根の建物が見えて来た。
不良の部屋は三階の、左端だという。
「あと少しだ・・・」
呼びかけると短く「おう」と、
返って来たその声だけに意識を集中させて、
癌を、
抱える自身の心を見ないように努める。
傍に人のいる心地よさに目が眩んだ。
「粥を作る」
「は・・・?」
「おまえは寝ていろ」
口実を作り、部屋に入る。
「おい・・・」
「寝ていろ」
不良の、やたら高い熱が心配だったことも事実だったが、
一人に、
なりたくないと言う利己的な感情が生んだ強引さだった。
思ったより、
片付いていたその部屋の壁には、
やたら眼力のあるボクサーのポスターが貼ってあった。
(こんなもの、貼っていたら四六時中、
見張られているような気がして嫌じゃないか?)
そう、思ったが口には出さず、
小さな、台所の隅に置かれていた空の鍋に水を入れ、
一つだけあるコンロに掛けた。
米はあるのかと聞くと、
「ある」と不良は答えた。
棚に、透明な容器に入った米が確かにあった。
炊き込みを初め、
足元の小さな冷蔵庫を、
開け大根を取り出す。
普通、粥に入れるものでは無かったが、
いつ頃からか、栄養があるから入れておこうという、
意識が染み付いていた。
「どこの押しかけ女房だっつーの」
話し掛けて来ているのか独り言なのか、
わからないぼやきが聞えた。
「黙って寝てろ」
「なあ」
「黙ってろ」
「・・・」
部屋に、
とんとんと包丁とまな板の作る音だけが響く。
(そうだ、粥には・・・)
不良の、
部屋の小さなサイズの冷蔵庫に、
卵は入っていなかった。
むしろ大根が、
入っていたのが奇跡だったのかもしれない。
「何も無いな・・・」
小さな、
呟きに不良は応じなかった。
黙れと、命じたくせにその、無反応を寂しく思う。
もう寝ていたのかもしれないし、
黙れと言われたから黙っていたのかもしれない。
それでもここで、あの用務員なら一言、
「うるせえよ」と返してくる。
続けて、「無駄な世話焼いて楽しいか」なんて、
憎まれ口を叩くかもしれない。
(ああ・・・)
脳裏に、
去年流行った風邪で寝込んだ時に、
与えられた粥の中に入っていた大根と、
あの太く低い声の響きが浮かび上がった。
(大根は栄養があるから・・・、それと卵な)
包丁を、
握る手に涙が落ちた。
情緒が不安定になっている。
気分が、言ったり来たりして落ち着かず、
自分の先の感情がまったく読めない。
間違いを犯した。
誰かが、傍に居れば平気だろうなどと、
甘い考えで他人の、
部屋で迂闊にも泣きたくなっている。
あまりに、
浅はかで自分勝手で、
呆れて物も言えない。
他人に、
逃げようとして甘えようとして、
しっぺ返しを食らった。
窮地、
涙が止まらない。
「!?」
ぽんと突然、
頭に手が置かれ全身がびくりと、
反応し包丁が手から滑り落ちた。
それがいつの間にか後ろに、
立っていた不良の手だと気づき、
泣いていることが、
向こうに知れていたことに気づき、
羞恥で一瞬気が遠くなった。
ポタポタと、
こぼれ落ちる涙は体内で暖められ熱くなっていて、
まな板に、
大根と包丁と涙がごちゃごちゃに散らかっている。
時々、頭に載せられた手が何度か優しく撫でるような動きをして、
残る涙をすべて搾り出そうとしているかのように涙腺を緩める。
出し切り、止まった涙の残骸を拭いて、
そこで初めて見た不良の横顔は少し怒っているように見えた。
その、青い目は一点、
流しのタイルの壁のシミを見ている。
| |
|
Monday, 06, Feb | トラックバック(0) | コメント(0) | ●グリウル | 管理
|
この記事へのコメント投稿はできない設定になっています |